代表仲人阿部のささやきコラム
No.85 “ 理想 ” という言葉の下で・・・
出会い、恋愛、結婚について
2008.06.2
先日、雑誌・婦人公論で【 離婚も人生のギフトです 】と題して、
女優・宮崎ますみさんのインタビュー記事が掲載されていました。
(以下、5ページにわたっての記事文面を省略化させて頂き、ご紹介します)
『 15歳でデビューしてからずっと走り続け、
まさに息つく間もなく仕事をしていた当時の私は、
充実している半面、葛藤や迷いがありました。
本当の自分らしさを表現できない息苦しさに心のバランスを崩し、
心も身体も死んでしまいそうな危機感に襲われました。
そして、 “ 止まれ ” という心のシグナルを聞いたような気がして、
デビュー以来初めて、1ヶ月間の長期休暇を取ってハワイに行った時、
後に、夫となる人と再会したんです。
同じ名古屋出身者であり、お互いの家のお墓も近かったこと、
そして、奇跡のような流れ星の光景を一緒に見た彼を
“ 運命の人 ” と直感し、結婚しました。
それまでは、自分の為だけに突っ走ってきて、欲しいものは手に入り、
物理的には恵まれていたけれど、精神的には、どこか渇いたところがありました。
そしてこれからは、自分のためではなく子供のために尽くそうと、
子育てに専念することにしたのです。
私達の結婚生活は、スタート時点から子供の存在ありきで、
夫婦という実感を味わう前に親になり、一緒に、家族をつくっていった感じです。
子供のいる暮らしは、キラキラして本当に素晴らしいもので、
家の中は、天国のように美しい場所でした。
でも一方で、それまで、日本で味わってきた自由な時間を持てない現実に
イライラすることもあり、かけがえのない我が子に対し、
腹が立つ自分は、一体なんだろう・・・と、
自分と深く向き合う時間が増えました。
今思うと、なぜ私は、その時の色んな葛藤を夫に相談せず、
自身の内観によって越えようとしていたのか。。。
私達夫婦に大きな溝が生まれた原因かもしれませんが、
私が理想とする夫婦の形は、互いにさらけ出して本心で語り合い、
時には、ぶつけ合って切磋琢磨して前進していくものでした。
しかし、彼は多くを語らないタイプ。
男性の多くは、自分を語るのは苦手なのかもしれませんが。
徐々に、彼とは、深い部分で通じ合えないかもしれないと、感じ始めたのです。
何とか家庭生活をうまくやっていこうと、自分のあり方を模索するうち、
私は、彼に対しても、息子を見るような視点になり、
いつの間にか “ お母さん ” になっちゃっていたんです。。。
彼のほうも、文句を言われる隙を与えないよう協力的な旦那さんを
演じてきてしまったのかもしれません。
けれどそんな関係では、本心をぶつけ合うことはとてもできないし、
パートナーシップは、成立しませんよね。
もうお互いのことに、興味を示さない関係になってから時が経ち過ぎて、
そういう関係を打破したい気持ちもありながら、
もう自分の力では打ち破れないところまで来ていたと思います。
別れ話を切り出してから2ヵ月での離婚だったので、
さっぱりとしたほうなのかもしれません。
けれど、涙もたくさん流しました。
いつから・・・・ どこから・・・・
私達夫婦の間に、埋め合わせることのできない距離が出来てしまったのか、
心を通わせた対話を、日常から、消し去ってしまっていただろう・・・ 』
乳がんの手術もされた宮崎ますみさんが最後に、
『 最近、講演などで自分の闘病体験について語る機会も多いのですが、
ガンというと、すぐに、 “ 家族の支え ” という美談にされがちです。
しかし、必ずしもそうではないし、家庭生活自体に問題があって、
それが、病気の引き金を引く場合だってあります。 』
と、語る宮崎ますみさんの言葉を、
皆様は、どうお感じなりますか??
夫婦の離婚理由の一番に挙げられる「 性格の不一致 」に要因する事柄が、
たくさん含んでいる…と私は感じました。
結婚生活というものを例えていえば、
金山掘りのようなもの。
と、聞いたことがあります。
夫婦二人で、汗水たらして、金鉱を掘り続ける地道で忍耐の毎日を過ごす中で、
ときたま、美しい砂金を手にして、喜びを分かち合う。
砂金の一粒を見つけた小さな喜びを糧に、山を掘り続け、気がつけば、
コツコツ集めた砂金が大きな金塊 = “ 絆 ” になっていた
それが、結婚生活なのだ。
なるほど… 結婚50年目を “ 金婚式 ” とは、ホント、うまく云ったものですね。
最初から、いきなり金塊を求めようとする憧れや理想だけで選ぶ結婚は、
現実の生活の中でギャップを生んでしまう・・・・と、思いませんか?